先駆けラストラン 篠原倖太朗選手コメント

インタビューを受ける篠原選手
篠原 倖太朗選手(駒澤大学4年・陸上競技部主将)
(出身校:山武北小学校→山武中学校→富里高校)

選手としての主な経歴

・大学3大駅伝全てで区間賞を獲得(3年:出雲駅伝、箱根駅伝、4年生:全日本大学駅伝)

2023年の丸亀国際ハーフマラソンで、ハーフマラソンの日本人学生記録(1時間0011秒)を更新

20249月、5000メートルで屋外日本人学生新記録(131570)を樹立




○幼少期~高校時代

・陸上を始めたきっかけ

柔道をしていたが、スタミナ作りのために陸上を始めました。

 

・陸上チームでやっていたのか

当時は成田の遠いところでやっていたが、中学から部活に入りました。

 

・柔道ではどれぐらいの成績だったのか

千葉県で3番までいきました。

元々総合格闘家になりたくて体力が必要だった。あと、ローキックが強くなるというしょうもない理由もあります(笑)

柔道をやっていた時の篠原選手(お母様提供)


中学生時代の篠原選手(お母様提供)

 

・総合格闘家で好きな選手

平良達郎さん。少しだけ交流があります。

 

・柔道での大きな怪我など

特にありません。

 

・中学校に上がるときにも陸上を続けたのは

負けず嫌いだったので。小学校のマラソン大会でもずっと2番で、もう少し続けてみようかなと思って続けました。

 

・富里高校時代の通学について

競技場の近くに家がある同期は、ご飯も食べて、お風呂も入って、寝る準備する頃に自分は家に着くので、自分は(自転車を漕いでいる時に)不利だなと思っていました。でもその分強くなっている気はしていたので、そんなに嫌ではなかったです。

 

・その時の精神で今に繋がっていることはあるか

寮から大学までが5kmぐらいだが、屁でもない(笑) もう一瞬です。

 

・小学生の頃に好きだった大学とかはありますか

当時、小学生ながらクラブチームに行っていて、順天堂大学で練習をしていました。なので、当時は順天堂大学に行ければと思っていました。

 

・その時の駒澤大学の印象

怖くて尚且つ強いチームだったので、ちょっと手が届かないなと思っていました。

 

高校時代の篠原選手(写真/山武市役所)

 

・高校の時、駒澤大学を選んだ決め手

(自分は)全国区の選手じゃなかったですが、その中で最初に推薦をしてくれたのが、駒澤大学でした。また、高校時代にある程度力がついて記録が伸び、その時に教えてもらった顧問の先生が駒澤出身だったので、練習が(富里)高校と似ていました。高校の練習の強度を高くしたのが駒澤大学だったので、必然的に強くなると思い駒澤を選んだ感じです。

 

・高校時代に教わった顧問の先生への思い

高校時代から長い目で見て練習を組み立ててくれていたので、感謝しています。試合が終わってから、毎回連絡するようにしています。

 

○大学時代

・キャプテンになってからの重圧

重圧というよりは、結果が出なかった時の責任が重かったです。

 


2024年の出雲駅伝で悔しい表情を見せる篠原選手(ⓒ駒大スポーツ編集部)

 

・「駅伝で外さない強さ」はご自身の中でどのあたりが要因だと思うか

シンプルに練習量です。Ggoatというチームで質の高い練習をしているが、そこにいるメンバーと比べると才能の差を感じます。自分が必死になってやっているメニューも、他のメンバーは鼻歌を歌いながらできるので。正直、自分は質を高めることはできません。なので、その高い質のまま量を増やすしかないと思っています。練習って、量より質って言われていますが、量をやりまくると「量が質を凌駕する瞬間」がきます。そこをずっとキープしている感じです。

 

・駒澤大学に入って強いチームメイトと練習できるメリットを感じたことはあるか

常に追う側なので、気楽です。後輩たちが自分を追って練習をしてくれているが、意外とその方が大変だったりします。

 

・大学時代での挫折

丸亀ハーフ、日本学生ハーフ、10000m27分台など、好記録を3回連続で出した後、一気に調子が悪くなってしまいました。怪我をしているわけではありませんでしたが、走れないっていうのが半年間ぐらい続きました。その時はかなり苦しかったです。初めての感覚でした。今思うと練習のしすぎだった気もします。

 

○吉田礼志選手に関して

・吉田礼志選手の存在を意識したのはいつぐらいか

自分が学生記録を出した丸亀ハーフで歴代2位のタイムを出したのが礼志だったので、それぐらいからです。

 

・高校時代の吉田礼志選手の印象は

高校時代は、彼(吉田礼志選手)の方が全然強いので、ただただ強いなと思っていました。

正直レベルが上だったので、自分が追いかけるというか、ライバルって思うのも申し訳なかったです。

 

・吉田礼志選手と仲良くなったきっかけ

ユニバーシティゲームズでは選手村の中でずっと一緒にいたので、(それが)仲良くなるきっかけでした。彼も陸上競技で、特に地元千葉県で友達がいなかったので、(自分も全く同じ感じで)ウマが合い、けっこう話すようになりました。

(写真/アフロスポーツ)

・仲の良い吉田礼志選手と大舞台で同じ区間を走るかもしれませんが、どんな気持ちで臨みたいですか

学校としてある程度目指すところは異なってくるとは思いますが、彼も区間賞を狙ってくると思います。2人で区間賞争いができれば千葉県も盛り上がると思うので、2人で盛り上げていきたいです。

 

○山武市に関して

山武の陸上競技場があって、去年もそこを使わせてもらったが、その時も小学生とか中学生とか、陸上が好きな人たちが集まってくれて、市全体で自分のことを応援してくれています。本当にありがたいです。

○最後に

・トラックレースも終わったが、個人的な体の仕上がりは?

→かなりハイレベルでのレースが立て続けにYogibo(Yogibo Athletics Challenge Cup 2024)から続いてきたので、今までの通りの安定感がイマイチ発揮できていない部分はありますが、一旦ちょっと落ち着いて箱根駅伝って形になるので、そこは合わせられるかなと思います。

 

・競技はどれぐらいまで続けたいか

今のところは2028年のロサンゼルス五輪まではトラックをやって、2032年のブリスベン五輪からマラソンをやってみようと思っています。本当に大雑把な考えなので、どこまで実現するかわかりませんが、最後はマラソンで終わろうと思っています。 

 

・最後に一言

箱根駅伝は、しっかり自分も区間賞を取って、チームも勝たせます。応援お願いします。