1984年明治大学卒、セプンイレプンジャバンに入社、1988年寺尾ストアーにてスーパーマーケットについて学ぶ。その後家業の八百屋を継ぎ、オーガニックを取り入れていく。予防医学、ヘルスコーチ、オーガニックについて深く学び、「お客様に安心な食べ物を」という信念でスーパーの経営をしている。
株式会社かわたは、全国的にも珍しいオーガニック専門のスーバーマーケット「クランデール」を千葉県内に2店舗展開している。添加物がふんだんに使われている食品が出回っている昨今、あえてオーガニック食品に特化した品揃えを目指し、小さな子どもでも安心して食べられる食品を中心に販売しているのが特徴だ。
なぜ千葉でオーガニック専門スーパーなのか。
実は今、千葉でもオーガニックが広がりつつある。全国からも有名ないすみ市のオーガニック給食をはじめ、木更津市や佐倉市もオーガニックビレッジの取り組みをしている。SDGsが叫ばれる昨今だが、オーガニックは「すべての物が幸せになる仕組み」だと川田社長は語る。ここ松戸市だけにとどまらず、各地のスーパーが同じ思いを持って、千葉県そして日本中にオーガニックの輪が広がっていくことを願っているのだ。
川田代表は八百屋の息子として生まれた。家業を継ぐためにスーパーで修行をしていく中で、自分達の仕事がお客様の健康を担っていることを実感。家業を継いだ後は、当時まだ珍しかった無農薬の野菜や無添加のお菓子をかき集め、オーガニックのお店づくりに邁進した。
しかし、当時はオーガニックにほとんど関心のない時代。売れない日々が続き、オーガニックをあきらめ、普通のスーパーに戻った時代もあったという。それからは、オーガニックではないものの地元の農家さんたちと手をとりあい、地産地消を掲げ少しずつ持ち直していった。
やっと軌道に乗れたかな、そう思い始めたころ。
忘れもしない2011年3月11日、未曾有の大災害が日本を襲ったのだ。
運営していて最も強い影響を受けたのは、あの東日本大震災だった。川田代表が代表取締役に就任してからすぐのことだった。
震災以降、千葉県松戸地区がホットスポットだと騒がれたことで、クランデールは強烈な風評被害に見舞われた。クランデールの敷地内には地元の農家さんの直売所を併設しているため、放射能だらけの直売所野菜を売っているのだとレッテルを張られてしまい、お客様が激減してしまったのである。
「昨日まで来られていた妊婦さんや子ども連れのお客様の姿が、忽然と消えたんです。」そう語った川田代表の声には、悔しさとおどろきが混在していた。
だが、川田代表は不屈だった。
すぐさま業務用の放射能測定器を導入。行政が使用する400万円もの代物で、決して安くはなかった。それでも農家から仕入れた野菜を毎日正確に測定し、安全が担保されている基準値以下の野菜のみを店頭に出し続けた。信頼していただくように、ただひたすらに最善を尽くした。
そして、父から受け継いだ川田代表の情熱は確実に世間を動かしていった。次第に売上は回復。今日では数少ないオーガニック専門店として、クランデールの名は広く知れ渡っている。
なぜ諦めなかったのか。その理由は、「勝つまでやり続ける」という川田代表自身のモットー、そしてともにオーガニックへの情熱を持った社員の皆さんの支えがあったからこそに違いない。
会社を経営するうえでつねに大切にしていることは、お客様に嘘をつかないことだと川田代表は言う。
「お客様は、食品表示を見ないで安心して買えるお店を望んでいるはず。われわれはそのお客様の代わりとしてメーカーさんに細かく問い合わせ、原材料の安全をきちんと確認した商品だけを揃えるようにしております。」
震災の風評被害を乗り越えた今、誰よりもお客様に誠実であろうとする川田代表。お客様が感じる本当の安心は何なのか、今も店内で模索し続ける毎日だ。
川田代表の夢はオーガニック食で日本を変えること。
「オーガニックがあたり前になる事で多くの問題が解決されることを知って欲しいのです。オーガニックスーパークランデールは、オーガニック=「仕組み」「プロセス」という考えに基づいています。
生産者が作物をどのように作りどのように管理しているか? に始まり、スーパーからお客様の手元に届くまでの全ての仕組みそのものをオーガニックと捉えています。お客様、生産者、スーパーの一連の輪で、次世代の健康を支えていく100%オーガニックの世界を目指したいと切に願っております。
体は食べたもので出来ており、子供、孫の代へと続いていきます。お客様の「この商品は安全ですか?」という不安に耳を傾け、そしてオーガニックの食を通して、皆様の健康を支えるスーパーとして今後も社会に貢献して参ります。」