ナノテックシュピンドラー株式会社
シュピンドラー 千恵子

1986年、全日本空輸株式会社入社、羽田空港支店を経て成田空港支店客室乗務員として勤務。1992年、GMNゲオルグ・ミュラー・ニュルンベルク株式会社に入社。1995年、有限会社シュピンドラー・ジャパン設立(シュピンドラーアソシエイツの前身)。1997年、有限会社シュピンドラーアソシエイツ設立(現 ナノテックシュピンドラー株式会社)、同社代表取締役就任。その他3社の取締役・監査役に従事。2001年「第5回千葉県ベンチャー企業経営者表彰」受賞。2006年「平成17年度ニュービジネス大賞アントレプレナー賞」受賞。2020年「第38回優秀経営者顕彰日刊工業新聞社賞」受賞。

日本の医療の安全を支える“認証”の精鋭部隊

東京大学柏キャンパスにほど近い場所に構えているナノテックシュピンドラー株式会社は、医療機器・体外診断用医薬品の認証機関として、また認定検査試薬の確認審査機関として日本の医療機器の安全を支えている。

レントゲン撮影装置やMRI装置といった億単位の機械から、歯科材料や家庭用治療器まで、医療に関わるすべてのプロダクトが世に出るまでに必ずおこなう認証・審査。認定検査試薬の確認審査業務を行っているのはナノテックシュピンドラー株式会社ただ一つだ。どこの機関よりも迅速で円滑な業務を行ってくれると、医療メーカーからの評判が高いことで知られている。また海外からの劣悪な医療機器の流入を許さないバリケードとしても重要な役割を果たしており、日本の医療の安全を守るために必要不可欠な存在である。

「世界的にも人間の平均寿命が伸びている今、重要視されているのは健康寿命を延ばすための予防医療です。私たちは認証機関では珍しいベンチャー出身企業としてこの分野にも注目しております。これからいち早く貢献していけたらと思っています。」そう語るナノテックシュピンドラー株式会社の代表・シュピンドラー千恵子氏が持っている、事業への熱意とは。

CAから社長秘書、そして社長へ。波乱万丈の独立史

福岡の博多っ子として生まれたシュピンドラー代表は、大学卒業後にANA(全日本空輸株式会社)でCAとして勤務。厳しい規律のなかで育てられたという。そして仕事に対する姿勢が評価され、当時ANA社内の何千といるCAのうち25名しか選ばれないというスカンジナビア航空との共同運航便の初めての乗務員として選出され、ANA国際便と兼務。世界を駆け回る生活を続けていた。「業務は大変でしたけど全ての経験が今の糧となりました。私はいかに良いサービスを提供するか、そしてお客様に喜んでもらえるかがビジネスの基本だと感じているのですが、そういった思いはこのCAの経験があってこそ生まれたものだと思っています。」とシュピンドラー代表は当時を懐かしみながら語った。

その後は「サービスをつくる人間として業務に携わりたい」と決心し、企画室に部署を変更してほしいと交渉したものの、専門職での採用だったこともあり実現が難しいとわかったシュピンドラー代表はきっぱりとANAを退職。大学でドイツ語を専攻していたということもあり、ドイツの半導体製造装置メーカーGMN社の秘書として新しい一歩を進めた。

ところがふたを開けると社長秘書ではなく、なんとドイツ人エンジニアの通訳兼アシスタントとしてフィールドセールスとメンテンナンスサービスを担当することに。エンジニアリング以外のほぼ全ての業務をシュピンドラー代表が実行していた状態だった。

そして2つの転機が訪れる。GMN社の日本撤退、そして欧州輸出に関するCEマーキング規制の施行だ。
シュピンドラー代表は「GMN社は日本を撤退しますが、すでに導入された機器の保守は日本で続けなければなりません。私がアシスタントをしていたドイツ人のエンジニアにすべての責任を負わせたくないという気持ちもあり、私から進んで代表になりました。」と語る。また当時日本のメーカーがこのCEマーキングの規制に苦労していることを聞いたシュピンドラー代表は、これまでに培ってきた技術とノウハウをベースに国内メーカーに技術支援を行い、欧州輸出のサポートができるとひらめいたという。

突然迫る会社の危機…社員から言われたある一言

ニッチな市場を開拓し、順調な経営を展開しているナノテックシュピンドラー株式会社。しかし過去には事業撤退を余儀なくされた苦い過去もあった。

BluetoothやWi-Fiといった無線機器が日本で普及し始めた2000年代初頭。あらゆるIT機器が無線化していくこの時代、電気安全試験、EMC電磁両立性試験の提供だけではワンストップサービスにならないと無線試験の提供にミッションを感じたシュピンドラー代表は、すべての無線通信試験に対応できる専用の試験装置をなんと1億円かけて導入。当時は投資費用を十分に回収できる算段だった。

しかし導入直後、肝心の無線通信試験の内容が大きく変化した。厳格な試験内容だった初期の試験項目が、国際規格の制定後の改定により試験項目が大幅に削減された。これによりナノテックシュピンドラー株式会社は大打撃を受ける。「要は見込んでいた売上単価が半分になってしまったんですよ。だから、それまでに考えていた事業プランや投資回収計画が全部白紙になりました。」と語るシュピンドラー代表。眠れない日々が続いたという。

しかし、ある社員から言われた一言がシュピンドラー代表を動かした。

「彼から「この事業を止めないのであれば僕が辞めます。」と言われました。そのときに「そこまで言わせてしまったのか」とようやく気付いたんですね。それからはスパッと見切りをつけて撤退に動きました。やはり事業撤退はカッコ悪いと心のどこかで思っていたんでしょう。でもビジネスは根性で続けられるものではありません。止めることは決して恥ずかしいことではなく、経営上の判断の一つです。今でもあのことばを言ってくれた社員には感謝しています。」とシュピンドラー代表は当時を思い起こしながらゆっくりと語った。

そして現在の会社の課題は「人財の確保」だ。ナノテックシュピンドラー株式会社の商品は試験、審査、調査。つまりあるプロダクトを国が定めた基準に適合しているか厳密に調査・評価する仕事を担当するスペシャリストを確保しなければならない。しかし厚生労働省に登録した人財のみが業務を実行することができるうえ、製品の審査だけでなく工場に出向いて品質管理を審査するなど業務内容は多岐に渡る。AIなどで効率化を図ることが難しく、そして活躍する人財に育つまでには時間を要するという矛盾をはらんでいるのだ。

「ただ単に雇えば良いというわけではない、ということです。AIなどで効率化できる部分も限られていますので、やはり今活躍してくれている人財を大切にしつつ、これから力になってくれる人を育てる土壌もつくっていきたいところです。」と語る代表のことばには複雑な思いが感じられた。

メディカルサイエンスバレー 柏の葉を目指して

ナノテックシュピンドラー株式会社は現在、日本で数少ない民間の認証機関として医療機器メーカーを陰から支えている存在として全国で広く知られている。そして会社のそばには東京大学柏キャンパスと国立がん研究センターや千葉県産業支援センター東葛テクノプラザがある。市場流通まで製品の安全性確認を担う医療機器認証機関と日本最高峰の研究機関、両方存在するエリアは柏以外に存在しない。メーカーにとっては願ってもない土地だろう。柏市はシリコンバレーのような世界有数の最先端都市になる可能性を十分に持っているのだ。シュピンドラー代表はその聖地形成をめざしている。

さらに、2024年4月より医療機器のサイバーセキュリティ対策が薬機法上必須となる。Apple Watchなどで人々の健康情報を手軽に取得し分析できるようになっている昨今、医療機器も無線化しており、その潜在リスクの重大度は大きく、一度サイバー攻撃を受けてしまえば被害は甚大だ。例えば医療機器等がサイバー攻撃を受けると、正しく計測せずに、誤った判断のもと、治療や患者に影響を与えてしまう。メーカーは新たなリスク管理に取り組まなければならない。ナノテックシュピンドラー株式会社はこの課題にも着目しており、サイバーセキュリティ対策のための評価・試験を提供している。

「私の生き甲斐は社会に必要とされることですが、この事業のおかげで、ありがたくもお礼のことばをいただくことがたくさんあります。続けてこれてよかったと心から思っています。いろんなことがこれからも起こりますが、「禍福は糾える縄の如し」のように一喜一憂せず、コツコツ努力を重ねることを意識していきます。そして100年永続する会社の基盤をつくるため、堅実な経営を実現していく所存です。」そう語るシュピンドラー代表。これからも製品安全のプロフェッショナルとして日本を牽引していくことだろう。

ナノテックシュピンドラー株式会社

本社所在地
千葉県柏市柏インター南4番地6 ナノテクノプラザ 3F
設 立
1997年4月1日
資本金
4,000万円
事業内容
製品の安全性評価試験、管理医療機器の認証事業、各国認証取得代行をおこなう。
企業URL
https://nanotecspindler.com/
代表者
シュピンドラー 千恵子