
千葉県富里市出身。18歳でチーズ職人を志し、東京農業大学卒業後は北海道とフランスでの修行。2014年に大多喜町で築120年の古民家を改装しチーズ工房【千】senを開業。2017年11月1日には、国内のチーズ生産者にとって最高賞にあたる農林水産大臣賞を受賞、史上最速、女性初、関東初の受賞となる。国内産の乳酸菌酵母を利用した「産土(うぶすな)」がWorld Cheese Award 2019-20 銅賞受賞。2022年フランス本部があるギルド協会よりギャルド・エ・ジュレ Garde et Juréを叙任。日本酒で表面を磨いたウォッシュチーズ「鼓動」がJapan Cheese Awards 2024 で最優秀部門賞受賞、Would Cheese Award 2024 GOLD(世界1位)の快挙を達成。
https://fromage-sen.com/0.01gにこだわるチーズ工房
千葉県夷隅郡大多喜町。山林に囲まれた静かな集落に、築120年の古民家を改装したチーズ工房がある。チーズ工房【千】sen。2014年に開業したこの小さな工房は、日本独自の乳酸菌と酵母を駆使し、機械に頼らない手仕事でクラフトチーズを生み出している。
主力商品は「竹炭」「鼓動」「産土(うぶすな)」といった個性的な名前のチーズたち。地元の素材にこだわり、0.01g単位で調合された微生物が織りなす味わいは、国内外のコンクールで次々と賞を獲得してきた。
普段はオンラインショップの予約販売が中心。月1回の直売日やイベントでは、予約は不要なものの限定数のみ販売されるそのチーズは、その希少性もさることながら、チーズそのものから溢れ出るこだわりが、熱心なファンを惹きつけてやまない。
この工房を率いるのが、柴田千代。一人の女性が、チーズ作りを通じて日本の美を世界に届け、地域の文化を次代に繋ごうと奔走する姿は、まるで現代の侍のようだ。

給与ゼロから世界3位へ
千葉県富里市出身の柴田。兄弟4人の3人目として育ってきた。幼い頃から食べることが大好きだった彼女にとって、食卓は家族の絆を結ぶ聖域だった。母の手作り味噌や厳選された醤油に囲まれた生活は、自然の恵みを尊ぶ価値観を養うきっかけとなった。
18歳、高校卒業を控えた進路選択の岐路で、彼女は決意する。「食べることは人間が絶対にやめられない行為だ。なら、食で人を良くする職業に就こう…そう思うようになりました」。進学先の東京農業大学オホーツクキャンパスでは乳製品(チーズ製造)を専門に学び、卒業論文では『カマンベールの熟成チーズについて』をテーマに研究を行った。大学卒業後は北海道内の酪農家のチーズ工房で汗を流し、チーズ作りの基礎を叩き込んだ。
さらに27歳でフランスへ渡り、バックパックを背負って農家を巡る1年間の修行旅へ。カマンベールへの憧れを胸に、4軒のチーズ農家で技術を吸収した。だが、そこで彼女が見たのは、日本のチーズ文化の未熟さだった。「日本でチーズを作ってる人は本当にいるの?」とフランス人に呆れ顔で問われ、悔しさと使命感が燃え上がる。そして帰国後、10年ぶりに故郷へ戻った彼女を待っていたのは、団地とベッドタウンに変わり果てた富里の姿。畑や栗林が消え、大自然から遠ざかった故郷に愕然としつつ、彼女は日本の美しさを、チーズを通して世界に届けたいと思うようになる。
その夢を叶える場所として選んだのが大多喜町だった。東京から日帰り可能な距離、アクアラインで結ばれた南房総エリア。そして、乳牛発祥の地としての歴史を持つ千葉の風土。築120年以上の古民家を見つけ、「ここだ」と直感した瞬間、彼女の挑戦が始まった。貯金と微生物研究所での8年間の勤務で得た資金を手に、2014年12月、チーズ工房千を開業。だが、道は平坦ではなかった。最初の4年は給料なし、生活費も工房の売り上げで賄う自転車操業。情熱だけが彼女を支えた。
そして、2019年。運命の年が訪れる。8月4日、地上波に出演したことがきっかけで、柴田の情熱が全国に響き渡った。視聴者の心を掴み、工房の名が一気に広まる。だが、その1ヶ月後の9月9日、台風19号が直撃。瓦屋根が飛び、ガラスが割れ、停電と断水で在庫のチーズが全滅。畑に埋めざるを得なかったチーズを見ながら、彼女は泣いた。銀行口座の残高はなんと23円だったという。
絶望の淵に立たされたその時、奇跡が起きる。災害支援者からの38万円の寄付を受け取り、彼女は決断する。「これでイタリアの世界コンクールへ行く」。復旧を待つより、千葉の明るい話題を世界に届けたい。そう願い、自らチーズを携えて飛び立った。そして、結果は世界3位。銅賞を手に、冷蔵庫の裏で号泣した彼女は、V字回復の象徴となった。

私しか作れないものを作る
チーズ工房千の強みは、愛の詰まった手仕事とその道程にある。主力商品は18種類に及び、「竹炭」は農林水産大臣賞、「鼓動」は2024年の日本チーズアワード金賞とワールドチーズアワード金賞、「産土(うぶすな)」は2019年の世界銅賞を獲得。地元の乳酸菌や九十九里の塩、350年続く酒蔵の日本酒で洗ったチーズまで、千葉のテロワール(風土)を凝縮した作品群は、他では味わえない独自性を持つ。副産物のホエイを使ったドレッシングも農福連携で開発しており、廃棄ゼロを目指す持続可能性への取り組みも評価が高い。
量産ではなく品質と物語に徹するのが、彼女のこだわり。500円のモッツァレラを1000個売るより、5万円のチーズを10個売る道を選ぶ。「私しか作れないものを作り、提供するのが今のベスト」と言い切る彼女は、家庭の食卓を彩る手に取りやすい商品と、大使館や富裕層向けに作る特別なチーズの両方で、それぞれの戦略を描く。
工房の扉が開くのは、月に1回だけだ。日常の喧騒から離れた静かな山林に、ひっそりと客が集う。普段はオンラインでしか買えないチーズを直接手にするため、訪れる者たちはその日を待ち焦がれる。機械では再現できない手仕事の美しさを、千葉の風土と共に世界に放っている。
そして彼女は、自らが培ったチーズ作りの技術や考え方を次の世代へ伝える活動も精力的に行っている。例えば、月1回の営業日にはマルシェ「手仕事ある暮らし」を開催し、地域の職人たちと連携。自ら主催している勝浦市の「寺子屋」イベントでは、子供たちにチーズ作りを無料で教え、20年で1000人の卒業生を輩出する夢を追いかける。
「大多喜で育ててきた夢がしっかり形となって、結果、世界にメッセージを送ることができる存在になれたというのは非常に面白い。この事実をきちんと次の世代にバトンとして渡していくのは、我々の使命だと思っています。
でも、みんながみんな、片田舎の工房に来ることなんてありえません。だからこそ、我々で伝えるための場を用意しなくちゃならない。なのでどんなに忙しくても、時間を使って必ず開催するようにしています」

自分自身を信じる覚悟
柴田千代の事業は、単なるチーズ作りではない。日本の手仕事文化を残し、まさに千葉の酪農を次世代に繋ぐ使命といえるだろう。後継者不足や輸入飼料の高騰で酪農が衰退するこの時代、飼料を地産地消で賄う仕組みを築く地域の酪農家と連携し、最終ランナーとして、微生物研究者、酪農家、酒蔵の職人たちのバトンを握り、世界に勝つことで文化を守ると考える柴田は、10年後に千葉からオーガニックな村を作りたいと語る。
「自分の『好き』を見つけて、一心不乱に信じて進むのが、怖いけど一番幸せなことだと思います。時間がなくても、お金がなくても、動けば道は開ける。私だって研究所で働きながら工房を始めたわけですからね。人の3倍努力する意志さえあれば、その人の人生がすごい旅になるのは間違いないです」
神頼みではなく、自分自身を信じる覚悟。20代の、決して資金的には恵まれていなかった夢追い人が今、2024年には世界1位のチーズ職人になった事実が、大多喜町にある。
